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蓮華院 誕生寺

(れんげいん たんじょうじ)

蓮華院誕生寺は、熊本県玉名市築地に位置する真言律宗の寺院です。その山号は高原山(たかはらさん)であり、本尊として皇円大菩薩が祀られています。この寺院の寺格は別格本山であり、奈良の西大寺を総本山としています。

寺の歴史は古く、元々は平安時代後期か鎌倉時代初期に創建された浄光寺蓮華院の跡地に建立されました。しかし戦国時代の戦乱により浄光寺は焼失しました。

その後、昭和時代初頭に霊告を受けた初代住職の川原是信が昭和5年(1930年)に蓮華院誕生寺として中興しました。この寺には檀家はなく、信者や一般の人々のために祈祷を行う祈祷寺としての役割を持っています。

寺名の由来と歴史的背景

江戸時代の肥後国誌には、この地にかつて「浄光寺蓮華院」が存在したことが記されています。寺名の「蓮華院」はこの地の歴史を引き継いだものです。また、「誕生寺」の名称は、皇円大菩薩がこの地で誕生したことを意味しています。こうした歴史的背景を踏まえ、蓮華院誕生寺は、過去の浄光寺蓮華院の跡地に新たに生まれ変わった寺院としての位置づけを持っています。

本院と奥之院の構成

蓮華院誕生寺は、本院と奥之院の二つの寺院から成り立っています。本院は熊本県玉名市築地にあり、奥之院はそこから北に約4キロメートル離れた小岱山の中腹に位置しています。奥之院では、五重塔や大梵鐘が設置されており、定期的に行事や祈祷が行われます。

伽藍と南大門

南大門とその再建

蓮華院誕生寺は、中世の浄光寺があった場所に、その復興を目的として建立されました。玉名市築地には現在も「南大門」という地名が残っています。これは、かつて浄光寺の南大門がこの地にあった証拠であり、それが約400年の時を経て再建されることになったのです。

この南大門は、青森ヒバを用いた二層楼門式で設計されており、平成23年に落慶しました。門の身舎は幅五間、奥行き二間で、外側の一間に四天王が安置されています。中央の三間は通路となっていますが、扉は設けられていません。石造の高い基壇の上に立つ門は、屋根の初層が二手先、上層が尾垂木付きの三手先で支えられ、上層の周囲には高欄が巡らされています。門の前には公道が通っているため、その上に太鼓橋を架け、前面の敷地と結びつけています。この南大門の設計・施工は、匠社寺建築社が手掛け、設計は大浦敬規が担当しました。

四天王像の配置と特徴

南大門の初層の四隅には、四天王像が安置されています。四天王は、インドにおいて仏教の広がりとともに古代の神々が仏教の護法神として取り入れられたものであり、日本では寺院の門に安置されることが多いです。四天王は護法神として甲冑を着用し、覇気に満ちた忿怒の表情で表現されており、手には武器や法具を持ち、足元には邪鬼を踏みつけた姿で造られています。

蓮華院誕生寺の四天王像も、身体全体から指先に至るまで生気に満ちており、激しい感情を持ちながらも仏教を守護する姿が見られます。門の正面に向かって左手に増長天、右手に持国天、内側の左手に広目天、右手に多聞天が配置されています。像高は2.75メートルと大きく、賽割法(さいわり法)という特別な技法を用いて製作されました。この方法は、まず小像を作り、それを拡大して組み合わせる方法です。四天王像は京都の仏師である今村九十九によって制作され、極彩色で豪華に彩られた迫力ある姿が印象的です。

各天王の特徴
持国天

持国天は東方の守護神です。身体は青色で、右手は腰の位置に下げて独鈷杵を握り、左手には三叉戟を高く掲げています。持国天の表情は大きく開いた眼と激しい感情を感じさせる口元が特徴的です。

増長天

増長天は南方の守護神であり、身体は赤紫色をしています。右手に剣(日本刀)を頭上に掲げ、左手は腰に当ててを持っています。表情は激しく、特に眼と口の大きさが印象的です。

広目天

広目天は西方の守護神で、身体は白色をしています。右手にを、左手には巻物を持ち、書写の形をとっています。他の三天王と異なり、眼は薄く開けており、口元は堅く閉じているため、優しさや慈悲の表情が見受けられます。広目天の表現は最も内面的で複雑な感情を持っており、横綱白鵬がその心象モデルとなっています。

多聞天

多聞天(別名:毘沙門天)は北方を守護する神であり、財宝や富貴を司ります。多聞天は四天王の中で最も由緒正しく、身は黒色をしています。右手に宝棒、左手には宝塔を高く掲げ持っており、顔の表情は強い決意を秘めて静かさを感じさせます。横綱朝青龍が心象モデルを務めています。

内外二天の表現の違い

南大門の四天王像は、外側と内側で異なる表現を持っています。表側に配置された二天(持国天と増長天)は、武器を手に仏教の守護神として激しい感情を直接的に表現しており、邪悪なものを排除しようとする意志が感じられます。一方、内側の二天(広目天と多聞天)は、仏教の教えを象徴する法具を持ち、感情表現は抑制されて内に秘められたものとなっています。これにより、外部に対して邪悪を退け、内部に対して仏教を鼓舞する役割が明確に分けられています。

行事と法要

蓮華院誕生寺では、毎月13日を縁日として法要が行われます。また、毎月3日と23日も準縁日として法要が営まれています。法要は、僧侶による理趣経の誦唱と信者による在家勤行次第が行われ、法要の後には住職による法話が行われます。

龍火下りと大祭

6月13日は皇円大菩薩の入定の日として大祭が行われ、前日の夜には「龍火下り」と呼ばれる儀式が執り行われます。この儀式では、信者たちが奥之院から本院まで灯籠を持って行列します。また、護摩祈祷も行われ、13日早朝に御遠忌法要が営まれます。

その他の行事

奥之院では、毎月一度五重塔で功徳行が行われており、11月3日は奥之院の大祭です。また、12月31日には除夜の鐘が鳴らされ、大晦日を締めくくる法要が行われます。

本尊 皇円大菩薩

皇円(こうえん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶であり、実在の人物です。彼は関白藤原道兼の玄孫で、肥後玉名荘築地で生まれました。幼少期には比叡山に登り、顕教と密教を修めました。晩年には、浄土宗の開祖である法然が皇円のもとで出家し弟子となったことでも知られています。

皇円はまた、歴史書「扶桑略記」を著し、日本最初の編年体の歴史書として、神武天皇から堀河天皇までの歴史を記録しました。この書物は、日本への仏教伝来や寺院の縁起に焦点を当てた貴重な資料です。

皇円の伝説と入定

皇円に関する記録は少ないですが、法然に関する「拾遺古徳伝」や「法然上人絵伝」などによると、嘉応元年(1169年)6月13日に、皇円は遠州桜ケ池にて龍身を受けて入定したとされています。これは、彼が身を龍体に変え、池の中で密教の修行に入ったことを意味します。弥勒菩薩の信仰に基づき、未来の救済を願って入定したとされ、遠州桜ケ池は皇円の修行の場所として神聖視されています。

桜ケ池と応声教院

遠州桜ケ池は、現在の静岡県御前崎市に存在し、池宮神社が近くにあります。また、応声教院には、皇円が入定した際の龍のウロコと称されるものが祀られています。

近代の再興と主要な出来事

霊告と再興の始まり

昭和4年(1929年)12月、初代住職である川原是信が皇円大菩薩から「蓮華院を再興せよ」という霊告を受けたことが、蓮華院誕生寺の再興のきっかけとなりました。そして、翌年の昭和5年(1930年)3月には仮本堂が完成し、正式に蓮華院誕生寺としての活動が再開されました。

主要な伽藍と建築

昭和12年(1937年)には阿闍梨堂が、昭和15年(1940年)には石造の円門が完成し、蓮華院誕生寺の伽藍の整備が進められました。特に円門には「御願成就 皇紀二千六百年 田中虎吉」という銘が刻まれており、昭和15年(1940年)に建立されたことが示されています。

その後、昭和25年(1950年)には、世界平和祈念大願堂(通称「大願堂」)が落成し、広大な112畳敷きの祈祷堂が完成しました。また、昭和41年(1966年)には現在の本堂が建てられ、蓮華院誕生寺の象徴的な建物となっています。

奥之院の落慶と五重塔の建立

昭和52年(1977年)には奥之院に大梵鐘が設置され、翌年には奥之院自体が落慶しました。また、平成9年(1997年)には五重塔の落慶法要が行われ、奥之院の象徴としてそびえ立っています。

近年の出来事

平成17年(2005年)にはダライラマ14世が来山し、世界平和祈念護摩法要が本院で、法話会が奥之院で行われました。また、平成30年(2018年)には多宝塔が落成し、五智如来の開眼法要が行われました。

蓮華院誕生寺の文化財

浄光寺蓮華院跡出土の鎮壇具および古瓦

昭和5年、蓮華院誕生寺を中興する際に、現在の本堂付近に旧本堂を建設するための整地作業が行われた際、小仏像2体香炉1点鶴亀の燭台3点といった荘厳具が出土しました。また、昭和38年12月には現本堂の建設工事中に金銅仏頭1躰勾玉1点盤1点などの鎮壇具が発見されています。さらに、昭和34年3月にも布目軒丸瓦3点布目軒平瓦2点が出土しました。

これらの出土品は鎌倉 時代のものであり、本尊の下に鎮座させて工事の無事を祈るためのものでした。これにより、現在の蓮華院誕生寺の本堂付近が中世の浄光寺の本堂跡であることが確認されています。出土品は蓮華院誕生寺の庫裏に展示されています。

関白塔および浄光寺跡出土五輪塔地輪

蓮華院誕生寺の中門脇には、中世の五輪塔が残されています。この五輪塔は関白塔と呼ばれ、凝灰岩からなる二基の塔で構成されています。東塔は高さ253.6センチメートル、西塔は基礎石を失っているものの高さ268.8センチメートルと、九州最大の高さを誇ります。塔には文字が彫られておらず、これは鎌倉時代後期から室町時代にかけての真言律宗系の五輪塔の特徴を示しています。また、南北朝時代の銘がある最下部の地輪も三基出土しており、これらは蓮華院誕生寺の山門西側に二基並んでいます。

まとめ

蓮華院誕生寺は、平安時代末期に創建された浄光寺蓮華院の跡地に、中興された祈祷寺です。その歴史は深く、皇円大菩薩の教えを伝え続け、現在も多くの信者や訪問者により支えられています。

Information

名称
蓮華院 誕生寺
(れんげいん たんじょうじ)

熊本市・山鹿・菊池

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