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宮崎兄弟の生家

(みやざき きょうだい せいか)

宮崎兄弟の生家は、熊本県荒尾市にある史跡であり、熊本県指定の文化財でもあります。この場所は、宮崎滔天、宮崎八郎、宮崎民蔵、宮崎彌蔵などの宮崎兄弟と、中国革命の父と称される孫文との交流をテーマとした施設です。また、敷地内には「荒尾市宮崎兄弟資料館」が併設されており、多くの歴史的資料が展示されています。

宮崎家の歴史

宮崎家の始まり

宮崎家は、初代の弥次兵衛正之が正保4年(1647年)に肥前国佐賀郡佐賀から肥後国玉名郡荒尾村に移住したことから始まります。宮崎家はその後、8代目の宮崎政明の代まで世襲郷士として地域に根付いていきました。

宮崎兄弟と孫文

宮崎家の中でも特に知られるのが、宮崎滔天や宮崎八郎ら兄弟です。彼らは中国の革命家・孫文を支援し、その活動に多大な貢献をしました。1895年に孫文が広州での挙兵に失敗し、1897年に日本に亡命してきた際には、滔天の招きで宮崎家に滞在したことがあります。その後も辛亥革命成功後の1913年に、孫文は革命支援への感謝を伝えるため再訪し、宮崎家との親交を深めました。

宮崎兄弟の生家の保存と資料館の設立

宮崎家の保存活動

宮崎民蔵の死後、1931年には三井三池炭鉱の川口甚平が宮崎家を購入し、所有者となりました。その後、1965年に荒尾市指定の文化財(史跡)に、1973年には熊本県指定の文化財(史跡)に指定され、荒尾市、熊本県、川口家の三者で保存活動が行われました。1992年には荒尾市が宮崎家を購入し、復元整備を行い、翌年には「宮崎兄弟の生家」と「荒尾市宮崎兄弟資料館」が開館しました。

資料館の展示内容

宮崎兄弟資料館には、宮崎滔天や宮崎八郎、民蔵、彌蔵、そして孫文に関する約440点の文書や写真、新聞などが展示されています。また、孫文が民蔵に宛てた書簡や、滔天が著した『三十三年の夢』など、歴史的価値の高い資料も多数所蔵されています。これらの展示物は、日中友好の象徴として、訪れる人々に感銘を与えています。

友情の梅と菩提樹

宮崎家の庭には「友情の梅」と呼ばれる樹齢250~300年の古木があります。この梅の木は、宮崎家の先祖が太宰府天満宮から移植したと伝えられ、1913年に孫文が再訪した際に撮影された写真にも写っています。また、庭には滔天がタイ王国(当時のシャム)から持ち帰った菩提樹も植えられており、訪れる人々に宮崎兄弟と孫文の友情を伝えています。

宮崎兄弟の時代とその後

宮崎兄弟の社会活動

宮崎兄弟は父・長蔵から「官の飯は食うな」という教えを受け、誰も官職にはつきませんでした。長男・八郎は西南戦争で命を落としましたが、その影響を受けた兄弟たちは、自らの土地を売却しながら、孫文をはじめとする革命家たちを支援しました。そのため、彼らの生活は困窮しましたが、それでも志を貫き続けました。

宮崎家のその後

宮崎民蔵の死後、宮崎家は競売にかけられ、川口家が購入しました。その後、荒尾市によって保存が行われ、現在では多くの人々が訪れる歴史的な観光名所となっています。また、2011年の辛亥革命100周年を契機に、中国からの訪問者が増加し、宮崎兄弟と孫文の交流が再び注目されました。2013年には中国駐日大使が訪れ、「継往開来」という言葉を色紙に残しています。

まとめ

宮崎兄弟の生家は、日中の友好関係を象徴する重要な史跡として保存され、多くの人々に歴史を伝え続けています。宮崎兄弟と孫文の深い友情は、時を超えて今なお人々の心に残り、未来の友好を築く礎となっています。この地を訪れることで、宮崎兄弟の壮大な歴史と彼らの志を感じることができるでしょう。

Information

名称
宮崎兄弟の生家
(みやざき きょうだい せいか)

熊本市・山鹿・菊池

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