長寿寺は、熊本県熊本市南区富合町木原にある天台宗の寺院です。比叡山延暦寺の末寺であり、「木原不動(木原不動尊)」の通称で親しまれています。
長寿寺は、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動尊)、東京都目黒区の瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の一つに数えられます。また、九州三十六不動霊場の第19番札所でもあります。
長寿寺の大祭は毎年2月28日に行われ、修験者が素足でおき火の上を渡る「火渡り」や、煮えたぎった釜の熱湯の中に座る「湯立て」の荒行が実施されます。この大祭には数万人の参拝客が訪れ、賑わいを見せます。
長寿寺は延暦(782~806)年中、伝教大師最澄によって開基されたと伝えられています。往時は「西国第一の談義所」と称されるほどの寺勢を誇りました。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだとされる不動明王立像であり、像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されていると伝えられています。
仁平あるいは保元のころ、九州に下向し肥後に入った鎮西八郎為朝(源為朝)が木原山に城館を築き、この寺の不動尊を鬼門の守護として深く信仰したとされています。
鎌倉時代には、源頼朝が長寿寺の堂宇を再興し、寺領水田18町歩寺床8畝歩を寄進し、祈願所としました。
天正時代には、キリシタンであった小西行長が肥後半国を領したため、寺領が没収される憂き目に遭いました。しかし、関ヶ原の戦いで行長が敗れた後は、行長の所領を引き継いだ加藤清正によって再興されました。
明治維新の際、廃仏毀釈の影響で一時廃寺となりましたが、地方における著名な寺跡であることから、宇土の極楽寺圓海山惣持院を移して再興されました。
長寿寺の山号は「雁回山(がんかいざん)」であり、寺の後背地にある山(木原山)も雁回山と呼ばれています。この名の由来は、源為朝が自慢の弓で山上を飛ぶ雁を射落としたため、雁が山を迂回して飛ぶようになったという伝説によります。
長寿寺の本尊である不動明王立像は「水引不動」と呼ばれています。昔、大旱魃により山下の田が干上がり、里人たちが困り果てていました。里人が不動明王に祈ると、奇跡的に田の中に水が引き上げられ、不動尊の足には泥水の痕が付いていたという伝説があります。
長寿寺の境内は約6600平方メートルの広さがあります。
仁王門には丈九尺余の仁王像が2体安置されています。
本堂には、宇土藩第5代藩主・細川興文(月翁)が揮毫した「雁回山」の額が掛けられています。
観音堂には2体の観世音菩薩像(立像と坐像)が安置されています。
「永き世に業魔を降す破邪の剣 木原不動の功徳あらたか」
所在地: 熊本県熊本市南区富合町木原2040
バス: 熊本桜町バスターミナルより熊本バス「城南経由宇土駅行き」に乗車し、「木原不動前」バス停より徒歩5分(約380m)。2月28日の大祭には臨時バスが運行されます。
電車: JR九州鹿児島本線「宇土駅」よりタクシーで約10分。
車: 九州自動車道「城南スマートインターチェンジ」より約3.8km、「松橋インターチェンジ」より約9km。