豊前街道南関御茶屋跡は、熊本県玉名郡南関町にある歴史的な遺構で、国指定の史跡です。この御茶屋跡は、江戸時代の参勤交代の際に、藩主や藩士が休憩や宿泊を行う場所として使用されていました。南関町の歴史的な役割や、交通の要衝としての重要性を物語る貴重な史跡となっています。
南関御茶屋跡は、1852年(嘉永5年)に完成したもので、当時は肥後藩主の参勤交代の際に休憩所や宿泊所として使用されていました。修理や保存事業を経て、2004年に修復が完了し、2005年5月13日に一般公開されました。この修復にかかった費用は約1億1400万円にのぼります。
南関は古代から交通の要衝として発展しており、官道が通り、国境警備のための関所が設けられた場所です。関所はその後も豊前街道として利用され、江戸時代には参勤交代の主要なルートとなりました。このため、南関は藩主や藩士のための重要な休憩地となり、御茶屋が設置されました。記録によれば、江戸時代初期から御茶屋の施設が整備されていたことがわかります。
現在の南関御茶屋跡の建物は、嘉永3年(1850年)に起工し、嘉永5年(1852年)に竣工しました。『瀬上文書』によれば、従来の建物が古く、狭かったため、新たに改修されました。また、篤姫が江戸へ向かう途中、この御茶屋で休息をとった記録も残っています。
南関御茶屋跡の建物は南北に長く、御居間や御次の間、三の間といった部屋が配置されています。屋根には、当時の肥後藩主細川氏の九曜紋があしらわれた鬼瓦や軒瓦が使われ、建物の北側には小さな庭園もあります。これらの遺構は当時の姿を良好に保っており、柱も多くが当時のまま残されています。
「御茶屋」は「御客屋」とも呼ばれることがありましたが、一般的には「御茶屋」として知られていました。この施設は武士の宿泊や休憩のためのもので、決してお茶を提供する場所ではありませんでした。
豊前街道沿いに現存する御茶屋跡は、交通史上非常に貴重な遺構です。このため、2003年に国の史跡に指定されました。現在も、建物の約7割は嘉永年間のものを保持しており、往時の姿を伝えています。
南関御茶屋跡の保存事業には、南関町、国、県が出資しており、その比率は以下の通りです:
このように、地域と国が協力して文化財の保護に取り組んでいます。
南関町では「南関町宿場町伝楽人」というボランティア団体が御茶屋跡の管理を行っています。約40名のボランティアガイドが当番制で常に案内を行い、訪れる人々に史跡の歴史や魅力を伝えています。
豊前街道南関御茶屋跡は、熊本県玉名郡南関町大字関町1141-2に位置し、中央公民館の裏にある階段を上った先、旧南関第一保育園の横にあります。
以下の交通手段を利用して訪れることができます:
南関御茶屋跡が整備されてから、地域の文化イベントも開催されるようになりました。代表的なイベントとして、以下のものがあります:
これらのイベントは地域の伝統文化を継承し、多くの来訪者に楽しまれています。