藤崎八旛宮は、熊本県熊本市中央区に鎮座する神社です。旧社格は国幣小社であり、熊本市域の総鎮守として長い間、地元の信仰を集めています。
藤崎八旛宮は、応神天皇を主祭神とし、神功皇后および住吉三神を相殿に祀っています。社名の「旛」の字は、天文11年(1548年)に後奈良天皇から賜った宸筆の勅額に基づき使用されており、それ以来、現在までその字が使われ続けています。
藤崎八旛宮の創建は承平5年(935年)に遡ります。これは、藤原純友の乱の追討と九州鎮護のために、国府があった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請されたことに端を発します。この神社は九州の石清水五所別宮の一社でもあります。伝承によると、勅使が持っていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、その藤が芽を出し、枝葉が茂ったことから「藤崎」という社名が付けられたとされています。
その後、国府八幡宮として国司や朝廷の崇敬を受け、鎌倉時代以降は歴代領主たちの崇敬をも受けることとなりました。江戸時代には熊本城の鎮守社として重要視され、熊本市内の信仰の中心的な役割を果たしました。
明治10年(1877年)の西南戦争では社殿が焼失してしまいましたが、現社地に移転し、復興が行われました。そして大正4年(1915年)には国幣小社に列格しました。
藤崎八旛宮秋季例大祭は、熊本市の代表的な祭りとして市民に広く親しまれています。この祭りは、毎年9月に行われ、神輿が市内を練り歩く勇壮な様子が見どころです。特に馬追いや太鼓など、伝統的な神事も多く含まれており、多くの人々が参加し、盛大に執り行われます。
藤崎の名前に関して、熊本県の歴史研究家である鈴木喬氏は、以下のような異説を提唱しています。『肥後国誌』によれば、藤崎には「八崎」という岬があり、藤崎、鐘射崎、牧崎、榎崎、河原崎、御崎、弥勒崎、筆崎と呼ばれる場所があったとされています。これらの名前が示す通り、台地の突き出た先端が「崎」と名付けられていたことから、藤崎もまた、井芹川に突き出た岬であったと考えられるのです。
また、「藤」の振り仮名は、現在では「ふじ」とされていますが、かつては「ふぢ」と読まれていました。これを濁らずに読むと「ふちさき」となり、「淵(ふち)」に突き出た岬という意味から、地名が「藤崎」となった可能性があると指摘されています。
藤崎八旛宮は、鳥居から本殿までの参道が約300メートルにわたって続いており、広々とした境内を楽しむことができます。特に、国道3号線に面した大鳥居は、幅・高さともに約10メートルの巨大な鳥居であり、参道のシンボルとなっています。大鳥居の下には片側2車線の道路が通り、参道の外側には左折レーンが設けられています。
この大鳥居が完成した時期は正確には不明ですが、1935年より少し前に建立されたと考えられています。当時の参道は未舗装でしたが、1964年に熊本市が参道の土地を無償で借り受け、市道として整備し、現在に至ります。
藤崎八旛宮へのアクセスには、熊本市内の公共交通機関が非常に便利です。藤崎宮前バス停から東へ約300メートルの距離にあり、産交バス、熊本電鉄バス、熊本都市バスが利用可能です。さらに、桜町バスターミナルや熊本駅方面からもバスで簡単に訪れることができます。
鉄道を利用する場合、熊本電気鉄道藤崎線の藤崎宮前駅が最寄り駅となり、東へ約400メートルほど歩けば神社に到着します。また、熊本市電の水道町停留場からも北へ約1キロメートルの距離です。
車でのアクセスも良好で、九州自動車道の熊本インターチェンジから約7.5キロメートルの距離にあります。周辺には駐車場もありますので、車で訪れる際にも便利です。