江田船山古墳は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)に位置する、前方後円墳の一つです。この古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと考えられ、墳丘の長さは62メートルに及びます。古墳の周囲には盾形の周濠(しゅうごう)が巡っており、豊富な副葬品が出土したことでも知られています。特に、75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘を持つ大刀が発見され、この大刀が日本最古の本格的な記録文書とされています。江田船山古墳は国の史跡に指定され、古代文化を理解する上で非常に重要な遺跡です。
江田船山古墳は、清原(せいばる)古墳群の中で最古かつ最大の規模を持つ古墳です。1873年(明治6年)に初めて発掘され、多くの副葬品が出土しました。その中には、国宝に指定された品々も含まれており、大部分は現在東京国立博物館に所蔵されています。特に有名なのが、銀象嵌銘大刀です。この大刀には75字の銘文が刻まれており、日本最古の記録文書としても貴重です。
江田船山古墳は5世紀末から6世紀初頭にかけて築造されたとされています。墳丘の長さは62メートルで、盾形の周濠を持ち、墳頂には石棺が配置されています。周囲には、短甲を着た武人の石人が置かれており、このような石人や石馬を配置する形式は特に九州地方の古墳に見られる独特な様式です。江田船山古墳は、この時代の地域の中首長の墓として位置づけられていると考えられています。
江田船山古墳で発見された銀象嵌銘大刀は、日本最古の記録文書である75文字の銘文が刻まれており、国宝に指定されています。この大刀の銘文には、「ワカタケル大王」と呼ばれる雄略天皇の名が記されており、これは埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にも同様の名前が刻まれていたことから、ヤマト王権の広域支配を示す重要な証拠とされています。
銀象嵌銘大刀には、「台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利ヵ)弖、八月中、用大鉄釜 并四尺廷刀、八十練、□(九ヵ)十振、三寸上好□(利ヵ)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也」といった内容の銘文が彫られています。この銘文は、長らく解読が困難でしたが、1978年に稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の発見により、ワカタケル大王(雄略天皇)に関連することが確認されました。
江田船山古墳から出土した副葬品は非常に多岐にわたります。主な副葬品には、銀象嵌銘大刀の他に、短甲や衝角付冑、金銅竜文透彫冠帽、神人車馬画像鏡などが含まれています。これらの出土品の一部は「肥後江田船山古墳出土品」として一括して国宝に指定されています。
以下は、江田船山古墳から出土した主な副葬品の一覧です。
江田船山古墳は、1873年に地元の人物・池田佐十が「夢のお告げ」を受けて古墳を発掘したことに端を発しています。この発掘により、多くの貴重な副葬品が発見され、明治政府はこれらを佐十から買い取りました。1951年(昭和26年)には国の史跡に指定され、その後も追加の調査が行われています。特に1975年の調査では、墳丘を巡る周濠の存在が確認され、1976年にはさらに近接する塚坊主古墳および虚空蔵塚古墳も史跡に追加指定されました。
江田船山古墳へのアクセスは以下の通りです。