近津鹿島神社は、熊本県熊本市西区松尾町に鎮座する神社で、旧社格は村社です。この神社は、毎年10月14日に行われる「火の神祭り」で特に有名です。勇壮な祭りが繰り広げられるこの神社は、長い歴史と地域の伝統が受け継がれています。
社伝によれば、もともとこの地には「宇土宮」という前宮が祀られていました。宇多天皇の治世である西暦893年、藤原南家の4代目である藤原保則が、常陸国鹿島神宮より分霊を勧請し、宇土宮を改築して鹿嶋宮と改称したことが神社の創祀と伝えられています。
また、神夢(神の夢)として、白馬に乗った白髪の老翁が海底から現れ、「私は鹿島大神であり、この地に鎮まり座する」というお告げを受けたという伝説もあります。その翌朝、海岸に出てみると、波打ち際に馬の形に見える大石があり、その石に神の姿が現れたため、この石を鹿島大神の神体として祀ったとも伝えられています。
近津鹿島神社の祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)です。この神は武運や勝利の神として知られ、全国的にも多くの崇敬を集めています。
近津鹿島神社の最も有名な行事は、毎年10月14日に開催される「火の神祭り」です。この祭りでは、住民が攻め手と守り手に分かれ、火のついた枝を投げ合うという独特の攻防戦が繰り広げられます。この祭りは、平安時代に近津の海岸を海賊が襲撃した際、村人たちが火のついた枝を投げて海賊を撃退したという出来事が起源とされています。
火の神祭りでは、既婚者が攻め手となり、火のついた木の枝を拝殿に向けて投げつけます。一方、守り手は独身男性で、カシの枝を使って火のついた枝を払い落とします。火の粉が境内を飛び交い、参加者や観客の間から歓声が上がる勇壮な祭りです。この攻防戦は、1000年以上前に新羅(現在の韓国)の海賊を退けた勇気ある行動を再現したものです。
この祭りは、平安時代に朝鮮半島からやってきた海賊が近津港に侵入した際、住民たちが山から切り出した木に火をつけ、それを海賊に投げつけて撃退したという故事に基づいています。この出来事を忘れないように、また武運長久を願って火の神祭りが行われるようになりました。
近津鹿島神社の火の神祭りは、地域独自の歴史や地理的な特徴に根ざした祭りであり、令和2年(2020年)に策定された熊本市歴史的風致維持向上計画の中でも、維持向上すべき歴史的風致の一つに挙げられています。この計画に基づき、今後も地域に伝わる貴重な文化として保存されていくことが期待されています。
火の神祭り以外にも、近津鹿島神社は地域の歴史と密接に結びついた神社であり、幕末の国学者である林桜園や神風連の変を起こした敬神党の影響を受けたことで知られています。彼らが尊崇した神社の一つであり、今でも多くの人々に敬われています。
近津鹿島神社は、歴史的な由緒を持ち、勇壮な「火の神祭り」で知られる熊本県の神社です。平安時代の海賊退治に由来するこの祭りは、地域の人々によって長く受け継がれてきました。毎年多くの参拝者が訪れ、地域の伝統や信仰が現代に引き継がれています。火の神祭りに参加して、その迫力ある攻防戦をぜひ体感してみてください。