釈迦院は、熊本県八代市泉町柿迫に位置する天台宗の寺院で、山号は金海山(きんかいざん)と称します。正式には「金海山 大恩教寺 釈迦院(きんかいざん だいおんきょうじ しゃかいん)」と呼ばれています。釈迦院は、歴史と自然が調和した神聖な場所として、長年にわたり多くの参拝者や観光客に親しまれています。
釈迦院の創建は、延暦18年(799年)にまで遡ります。寺伝によると、桓武天皇の勅願により奘善大師が創建したとされています。奘善大師は元々「薬蘭」という名で知られており、大地震の際に金色の釈迦如来像を霊感により感得し、それを祀る草庵を設けたことが釈迦院の始まりだとされています。この祈祷によって桓武天皇の病が回復したことから、薬蘭は「奘善大師」の称号を賜ったと言われています。
釈迦院の名称は、13世紀には既に使用されていたことが、寺に伝わる木造僧形神坐像の裏に記された墨書により確認されています。また、釈迦院はかつて「西の高野山」とも称され、75の坊と49の末寺が並ぶ一大霊場でありました。本尊は釈迦如来で、天台宗をはじめとする複数の宗派で学びを兼修する寺院として知られています。
天正年間(1573年~1592年)には、キリシタン大名である小西行長による寺院の焼き討ちを受け、大きな被害を受けました。寺坊が焼き尽くされ、社領も没収されるなど一時は衰退しましたが、その後、加藤清正とその子・忠広によって再興され、さらに熊本藩主細川氏の支援を受けて修復が行われました。釈迦院は再びその名を広め、現在に至っています。
釈迦院には、信仰すれば長患いせずに平穏な最期を迎えることができるという言い伝えがあり、「ぽっくり寺」としても知られています。特に、毎年4月8日に行われる花祭りには、多くの参拝者が集まり、釈迦院の霊験を求めて祈りを捧げます。
釈迦院を創建した奘善大師は、宝亀8年(777年)に肥後国八代郡北種山村梅林(現在の熊本県八代市)で生まれ、幼名を薬蘭と称しました。幼少期に出家し、霊感に導かれて大行寺山に庵を結びました。その後、桓武天皇の病を加持祈祷により治癒させたことがきっかけで、釈迦院の堂塔が建立され、天皇から大師号を賜ったと言われています。奘善大師は、承和3年(836年)に60歳で没しました。
釈迦院には、熊本県指定の重要文化財が数多く保存されています。その中でも、特に注目されるのは、銅造釈迦如来立像と木造の男女神坐像7躯です。これらの文化財は、釈迦院の長い歴史と深い信仰を象徴する貴重な遺産です。
釈迦院が位置する大行寺山(標高957メートル)は、八代市と下益城郡美里町の境にあり、周囲には釈迦院の森として知られる広大な自然が広がっています。この森は、樹齢約300年のスギの古木や人工林、マツの森が特徴的で、釈迦院の境内を取り囲む静かな自然環境は訪れる人々に安らぎを与えています。
釈迦院には「日本一の石段」として知られる参道があります。この石段は、1980年(昭和55年)に着工され、8年の歳月をかけて1988年(昭和63年)に完成しました。その長さは2.9km、段数は3,333段に及び、これまで日本一とされていた山形県羽黒山の石段(2,446段)を超えています。
石段は、熊本石をはじめ、中国や韓国、インド、ロシア、アメリカなど、世界各国の名石を使用しており、その壮大さは圧巻です。現在では、レッドブル主催のイベント『Red Bull 白龍走』なども行われ、多くの挑戦者が石段を駆け上がる競技が開催されています。
釈迦院へは、熊本桜町バスターミナルから熊本バスを利用して「坂本石段前」まで行き、そこから徒歩5分の距離にあります。また、自家用車を利用する場合、九州自動車道の松橋インターチェンジから約20㎞の道のりです。駐車場も完備されているため、車でのアクセスも便利です。
釈迦院は、歴史的な背景と美しい自然環境が調和した霊場であり、多くの人々に癒しと信仰を提供しています。特に、3,333段の石段を登りながら感じる達成感や、自然に包まれた境内の静寂は、訪れる人々に深い印象を残します。熊本を訪れた際には、ぜひ釈迦院を訪れて、その歴史と自然に触れてみてください。