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永国寺(幽霊寺)

(えいこくじ)

永国寺は、熊本県人吉市土手町にある曹洞宗の寺院で、大本山總持寺の直末寺にあたります。人吉・球磨地域にある16の曹洞宗寺院を統括する本寺であり、肥後三十三観音第9番札所としても知られています。また、幽霊の掛け軸や幽霊が現れたという池の伝承があり、「幽霊寺」としても広く名を知られています。

永国寺の歴史

創建と発展

永国寺の創建は応永15年(1408年)とも、応永17年(1410年)とも言われています。開山は一径永就和尚を勧請し、実底超真和尚によって正式に開かれました。相良氏第9代の当主、相良前続による開基であり、その後も相良氏一族の崇敬を受け、寺は栄えていきました。

幽霊の伝説と幽霊寺

この寺院が「幽霊寺」と呼ばれる所以は、開山の実底超真和尚が描いたとされる幽霊の掛け軸にあります。寺伝によれば、近郷のある男の妾が本妻の嫉妬に耐えかねて身を投げ、その後幽霊となって本妻を苦しめていたとされています。実底超真和尚が幽霊の醜い姿を掛け軸に描き、幽霊に見せたところ、驚いた幽霊は和尚に引導を請い、最終的には成仏したと言われています。この幽霊が現れたとされる池は、今も境内に残り、訪れる人々にその伝承を伝え続けています。

西郷隆盛との関わり

永国寺は、明治時代の西南戦争においても重要な役割を果たしました。田原坂で敗れた西郷隆盛がこの寺に33日間本営を置き、戦略の立て直しを図ったとされています。しかし、明治10年(1877年)6月の人吉市街戦で寺は焼失し、その後明治24年(1891年)に現在の本堂が再建されました。

境内には、西郷隆盛に関わる記念碑が建てられており、「西郷隆盛先生之遺跡の碑」や「人吉二番隊士の碑」がその存在を物語っています。

境内の見どころ

山門と鐘楼門

永国寺の入り口には立派な山門があり、そこから入ると鐘楼門が続きます。この鐘楼門は、永国寺の歴史と格式を感じさせる荘厳な雰囲気を漂わせています。

本堂と開山堂

再建された本堂では、曹洞宗の儀式や法要が行われています。さらに、開山堂も見どころの一つで、ここでは永国寺の歴史を肌で感じることができます。

幽霊の池

境内には、幽霊が出現したと言われる池があり、四季折々の花々が訪れる人々の目を楽しませます。特に、ツツジや睡蓮が見事で、幽霊伝説と美しい自然が共存する特別な場所です。

秋葉大権現と千手観音堂

永国寺には秋葉大権現が祀られており、また千手観音堂では千手千眼観音が安置されています。これらの神聖な場所は、信仰の場として多くの参拝者に親しまれています。

五重石塔と千人塚石塔

境内には、かつては五重あったとされる古い石塔が立っています。この五重石塔(現在は四重)は、人吉・球磨地方で最も古い在銘重層石塔として、市の文化財に指定されています。また、千人塚石塔(耳塚)もあり、歴史的な価値が高い場所です。

西郷隆盛と人吉二番隊士の碑

西郷隆盛の滞在を記念して「西郷隆盛先生之遺跡の碑」が建立されており、海軍大将山本英輔によって書かれたものです。さらに、「人吉二番隊士の碑」もあり、西南戦争に関連する歴史が刻まれています。

御詠歌

永国寺の御詠歌には、以下のようなものがあります。

ゆふつく日入る山の端をなかくにの つゐのすみかと兼てしるべし

アクセス情報

永国寺は、JR肥薩線の人吉駅から徒歩11分(約900m)の距離にあります。また、人吉駅からは九州産交バスの人吉周遊バス「じゅぐりっと号」に乗車し、「永国寺前」バス停で下車すると、すぐに寺に到着します。さらに、車で訪れる場合は、九州自動車道人吉インターチェンジから3kmの場所に位置しています。

まとめ

永国寺は、曹洞宗の歴史ある寺院として、また幽霊伝説で知られる特異な存在として、熊本県人吉市の重要な観光スポットとなっています。豊かな自然と歴史的建造物が調和したこの寺院は、訪れる人々に深い感銘を与え、幽霊伝説や西南戦争との関わりなど、多くの興味深い逸話が語り継がれています。

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名称
永国寺(幽霊寺)
(えいこくじ)

八代・人吉・球磨

熊本県