草部吉見神社は、熊本県阿蘇郡高森町に鎮座する、由緒ある神社です。旧社格は郷社であり、日本三大下り宮の一社に数えられています。その歴史的背景や見どころについて詳しくご紹介します。
草部吉見神社は、初代天皇である神武天皇の第一皇子、日子八井命(ひこやいのみこと)を主祭神としています。日子八井命は神武天皇の東征の際、高千穂から五ヶ瀬川に沿ってこの地に到達し、そこで池に棲む大蛇を退治し、その池を埋めて宮居を定めたとされています。このとき、館は草を束ねて壁としたことから、この地を「草部(くさかべ)」と呼ぶようになったと伝わります。
草部吉見神社は「下り宮」として知られています。社殿が鳥居より百数十段の石段を降りたところに位置することから、その名がつけられました。他にも宮崎県日南市の鵜戸神宮、群馬県富岡市の一之宮貫前神社とともに、日本三大下り宮に数えられています。この珍しい構造は訪れる人々を魅了し、神秘的な雰囲気を感じさせます。
日子八井命が高千穂峰から草部の地に至り、吉の池に棲む大蛇を退治したという伝説があります。この池を埋め、「ここが吉い宮を立てる場所だ」と言い、一夜で草で葺いた宮殿を建てました。こうしてこの地が「草部」と呼ばれるようになったと伝えられています。また、命が斬りつけた大蛇が逃げた跡が「地引原(ちびきはら)」と呼ばれ、大蛇が焼かれた場所が「灰塚(はいづか)」として今も地名に残っています。
日子八井命の弟、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子供である健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、天皇から阿蘇を治めるよう命じられ、阿蘇に向かう途中で日子八井命の館に立ち寄りました。ここで日子八井命の娘である阿蘇都姫と結ばれ、二人は協力して阿蘇を開拓し、農業を広めました。この神話から、日子八井命は阿蘇神社の三の宮としても祀られています。
日子八井命には「乾珠(かんじゅ)」と「満珠(まんじゅ)」という二つの石製の玉を日向から持ってきたという伝説もあります。乾珠は日照りをもたらし、満珠は雨を降らせる力を持っていたとされ、これらの力で日子八井命は農業を発展させたとされています。
草部吉見神社の社殿は、弘治3年(1556年)に甲斐左近将親成によって造営されました。その後、明和9年(1772年)に里人たちによって修繕され、さらに昭和51年に大規模な改修が行われました。流れ造りと呼ばれる形式で、彫刻などが施された技巧的な造りとなっています。
境内には「御塩井(みしおい)」という清水が湧き出る場所があり、これは一度も枯れたことがないと言われています。この湧水は不老長寿の「八功徳水」と称され、多くの参拝者がその水を飲みに訪れます。また、「下り宮」という独特の形式は、この水が祭祀の本体であることから、この地形に関連しているのではないかとも考えられています。
草部吉見神社では、毎年夏と秋に例大祭が行われます。7月31日の「夏季大祭」では地引原の御仮屋まで御輿が巡行し、10月17日の「秋季大祭」では社殿横の広場で大神御手相撲が奉納されます。また、両日ともに神楽殿で「草部吉見神楽」(高森町無形文化財指定)が奉納され、その中でも三十三座が舞われます。
草部吉見神社へは、南阿蘇鉄道高森線「高森駅」からタクシーで約35分、または九州自動車道熊本インターチェンジから約53kmの道のりです。アクセスが少し不便に感じられるかもしれませんが、その先には美しい自然と神秘的な神社の景観が待っています。
草部吉見神社は、宮崎県の鵜戸神宮や群馬県の貫前神社と並び、日本三大下り宮として多くの参拝者に愛されています。鳥居をくぐり、石段を下っていくと社殿が見えてくるという独特の構造は、神社の神秘性を引き立て、訪れる人々に深い感動を与えます。厳かな雰囲気の中で、日本の神話や歴史に触れることができる草部吉見神社は、まさに観光地としての価値が高いと言えるでしょう。