阿蘇神社は、九州の中央部、熊本県阿蘇市に位置する由緒ある神社です。その歴史は古く、「阿蘓神社」とも書かれており、その名を刻む銘板も現存しています。阿蘇神社は肥後国の一宮であり、旧社格は官幣大社です。現在は神社本庁の別表神社であり、全国に約450社ある阿蘇神社の総本社とされています。古代から続く有力氏族である阿蘇氏が代々大宮司を務めており、現在もその末裔である阿蘇惟邑氏が大宮司を務めています。
阿蘇神社は、熊本県の北東部にある阿蘇山の北麓に鎮座し、全国的にも珍しい「横参道」を持つ神社です。参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置し、阿蘇山と深い関わりを持つ神社として知られています。また、阿蘇氏との歴史的な繋がりから、肥後国中部で勢力を誇っていた一族と関係が深い神社でもあります。
阿蘇神社には、12柱の神々が祀られ、「阿蘇十二明神」として総称されています。
一宮:健磐龍命(たけいわたつのみこと) - 神武天皇の孫
三宮:國龍神(くにたつのかみ) - 神武天皇の子
五宮:彦御子神(ひこみこのかみ) - 健磐龍命の孫で、阿蘇大宮司家につながる神
七宮:新彦神(にいひこのかみ) - 三宮の子
九宮:若彦神(わかひこのかみ) - 七宮の子
二宮:阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと) - 一宮の妃で、三宮の娘
四宮:比咩御子神(ひめみこのかみ) - 三宮の妃
六宮:若比咩神(わかひめのかみ) - 五宮の妃
八宮:新比咩神(にいひめのかみ) - 七宮の娘
十宮:彌比咩神(やひめのかみ) - 七宮の妃
十一宮:速瓶玉神(はやみかたまのみこと) - 健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任命された
十二宮:金凝神(かなこりのかみ) - 神武天皇の叔父、皇統に繋がる神
阿蘇神社の起源は、孝霊天皇の時代に健磐龍命の子であり、初代阿蘇国造である速瓶玉命が両親を祀ったことに始まると伝えられています。阿蘇氏はこの速瓶玉命の子孫を称し、代々阿蘇神社の大宮司を世襲してきました。
国史では「健磐龍命神」や「阿蘇比咩神」に対する神階の記録が残されており、これにより両神の信仰が古代から続いていることがわかります。中世には肥後国一宮として広大な社領を有していましたが、豊臣秀吉の九州平定時に社領を没収され、その後、加藤清正や細川氏によって社領が寄進され、社殿の修復が行われました。
明治4年には国幣中社に列し、1890年に官幣中社、1914年には官幣大社に昇格しました。また、1931年には昭和天皇が熊本県を訪れた際、阿蘇神社にも行幸しています。
2016年4月16日に発生した熊本地震により、阿蘇神社は大きな被害を受けました。楼門と拝殿が全壊し、3箇所の神殿も損壊しました。神社では、国や熊本県、阿蘇市の補助を受けながら復旧工事を進め、2019年には神殿が復旧し、2021年には拝殿も再建されました。楼門は2023年12月に再建され、主要な社殿の復旧が完了しました。2024年度には周辺施設の復旧も完了する予定です。
阿蘇神社における主要な神々には、歴史的に高い神階が与えられています。健磐龍命神は、859年に正二位に昇格され、阿蘇比咩神は876年に従三位まで昇進しています。これにより、阿蘇神社の神々が国中で尊敬されていたことが伺えます。
阿蘇神社の境内には、さまざまな歴史的な建造物が存在し、その神秘的な雰囲気が訪れる人々を魅了します。
阿蘇神社の境内には、東向きに還御門、楼門、御幸門が並び立っています。中でも楼門は「日本三大楼門」に数えられ、高さ18メートルを誇ります。その二層楼山門式の建築様式は神社では珍しい仏閣の様式を取り入れており、阿蘇神社を訪れる際の見どころの一つです。
願掛け石は拝殿の右手にあり、古代から神石として伝承保存されている石です。その起源は不明ですが、参拝者たちはこの石を3回なでてから願い事を唱える風習を持ち、近年ではパワースポットとしても注目されています。
縁結びの松は、謡曲「高砂の松」に因んだ松で、男性は左から2回、女性は右から2回まわるとご利益があるとされています。この松は、縁結びを願う人々にとって大切なスポットとなっており、訪れる多くの参拝者がその御利益を求めています。
「教育二関スル勅語」の記念碑は、明治23年10月30日に明治天皇が建立した記念碑です。熊本県出身の第二代内閣法制局長官井上毅と枢密顧問官元田永孚らが起草した教育勅語が刻まれており、阿蘇神社の「せのび石」の隣に位置しています。この記念碑は、近代日本の教育思想を象徴する重要な歴史的資料です。
阿蘇神社では、年間を通じてさまざまな祭事が行われています。その中でも代表的なものについてご紹介します。
御田植神幸式は、「おんだ祭り」とも呼ばれる伝統的な祭りです。この祭りでは、頭に唐櫃(からびつ)を乗せた女性たちの「ウナリ」と呼ばれる姿が印象的とされています。かつては泥打ち(のろうち)が行われていましたが、現在は大筋では変化なくその形式が守られています。
祭りの前日には「遷座祭」が行われ、4つの神輿に阿蘇十二神が移されます。一の神輿には一宮、二の神輿には二宮、三の神輿には男性神(第三宮、第五宮、第七宮、第九宮、第十一宮、第十二宮)、四の神輿には女性神(第四宮、第六宮、第八宮、第十宮)と、神々がすべて神輿に移されます。
28日には「例祭」として、御田植神幸式が行われます。昼前に出発し、一の仮屋(御旅所)に昼過ぎに到着し、そこで神饌(しんせん)が供えられます。祝詞奏上、直会(なおらい)が行われ、酒を飲み食べて祝います。駕与丁(かよちょう)が御田歌を歌った後、神輿を担いで回ります。その際、神職や氏子たちが神輿の屋根を目がけて早苗(未成熟な苗)を投げ、屋根に多くの早苗が乗ると豊作になるとされています。その後、二の仮屋に進み、同じ神事を行なった後、本社に戻ります。式が終わると歌い納めが行われ、神職が成就祭を行います。翌29日には再び「遷座祭」が行われ、阿蘇十二神が神殿に戻されます。
阿蘇神社には多くの重要文化財が存在しており、その歴史的価値を後世に伝えています。
阿蘇の農耕祭事 - 1982年(昭和57年)1月14日に指定され、阿蘇地方の農耕文化を伝える重要な祭事です。
阿蘇の御田植 - 1970年(昭和45年)6月8日に選択されたこの文化財は、阿蘇神社の御田植神幸式を代表する伝統行事で、地域の農耕文化を象徴しています。
阿蘇神社は、九州の豊かな自然の中に立つ歴史深い神社であり、神秘的な建造物と共に、地域の人々の信仰心を支えてきました。年間を通して行われる多くの祭事は、地域の伝統文化を守り続ける重要な役割を果たしています。また、阿蘇神社に残る文化財は、日本の歴史と文化の一端を知る貴重な遺産です。阿蘇神社を訪れることで、その歴史的価値や地域の豊かな文化に触れることができるでしょう。ぜひ一度、阿蘇神社の魅力に触れてみてください。