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祇園橋

(ぎおんばし)

祇園橋は、熊本県天草市にある町山口川に架かる石橋で、重要文化財に指定されており、日本百名橋にも選ばれています。

祇園橋の歴史

架橋の背景と建設

祇園橋は天保3年(1832年)に建設されました。この橋の名前は、北詰にある祇園社に由来しています。架橋の発起人は町山口村の庄屋である大谷健之助で、彼は地域の有力者(銀主)の協力を得て永久橋を計画しました。そして、天保3年11月、下浦村の石工である辰右衛門が棟梁となり、橋が竣工しました。下浦石工集団は、天草において名高い石工集団として知られています。

なお、地元の『本渡市誌』によると、祇園橋は島原の乱殉教戦の200年記念として架橋されたともされています。同じ町山口川には、他にも1885年(明治15年)に架けられた施無畏橋などの石橋があります。

文化財指定とその後の歴史

1975年(昭和50年)3月24日、祇園橋は熊本県の指定文化財となりました。その後、1997年(平成9年)には、祇園社と祇園橋の間に立っていた「南蛮えのき」が伐採されました。同年12月には、国の重要文化財に指定され、1998年(平成10年)には、橋梁工学者の松村博によって日本百名橋に選ばれました。

祇園橋の構造と特徴

祇園橋の全長は約28.6メートル、幅は約3.3メートルです。この橋は、天草や熊本県で多く見られる石造アーチ橋とは異なり、石造桁橋(けたばし)の形式を採っています。橋脚は5列・9行で構成され、合計45本の柱によって支えられています。

また、橋の素材には地元の下浦町産の下浦石が使われており、水の流れの抵抗を最小限に抑えるため、橋脚は傾斜を持たせて建てられています。

交通アクセス

祇園橋へは、天草市内を走る「のってみゅうかー」を利用し、「中央新町」バス停で下車してすぐにアクセスできます。

祇園神社について

祇園神社(ぎおんじんじゃ)は、牛頭天王やスサノヲを祭神とする祇園信仰に基づく神社で、日本各地に広がっています。この記事では、全国の祇園神社について概説します。

祇園信仰と神社の由来

京都市東山区にある八坂神社は、かつて祇園社(祇園神社)として知られており、祇園信仰の中心的な存在でした。スサノヲと牛頭天王は同一視され、古くから祀られていましたが、明治の神仏分離の際に仏教の神である牛頭天王は祭神から外され、神道の神であるスサノヲのみが残りました。

同時に、多くの神社で「祇園」や「牛頭天王」といった仏教用語が神社名から削除され、京都の祇園社も「八坂神社」に改称されました。しかし、地名や祭りの名称として「祇園」や「天王」が残る地域も多く、各地で「祇園さん」や「天王さん」といった愛称で親しまれています。

全国の祇園神社

近畿地方

近畿地方には、滋賀県愛知郡愛荘町にある祇園神社があり、毎年7月16日に行われる花火大会で有名です。また、兵庫県神戸市の祇園神社は、平清盛に縁のある神社として知られています。

四国地方

徳島県吉野川市の祇園神社は、神体山である祇園山の麓に鎮座しており、愛媛県大洲市の祇園神社は、1月下旬に行われる祇園祭で有名です。

中国地方

岡山県倉敷市の祇園神社は、下津井城跡地にあり、江戸時代には北前船業者の崇敬を集めました。広島県広島市には、もともと京都の祇園社の分霊社である安神社(お祇園さん)があり、「祇園」の地名の由来にもなっています。

九州地方

福岡県久留米市の祇園神社や、佐賀県神埼市の祇園社など、九州地方にも多数の祇園信仰に基づく神社が存在しています。熊本県熊本市の北岡神社は、創建当初から「日本第弐 西九壹社」の尊称を持ち、西九州地域を守護する神社とされています。

祇園信仰に基づくその他の神社

祇園信仰に基づく神社は他にも多数存在し、名称が異なる場合もあります。例えば、愛知県豊橋市の吉田神社(牛頭天王社)や、福島県南会津郡南会津町の田出宇賀神社なども、祇園信仰の影響を受けた神社として知られています。

以上のように、祇園神社は日本全国に広がる信仰と歴史を持ち、多くの地域で地域文化に根ざした祭りや信仰の対象として親しまれています。

Information

名称
祇園橋
(ぎおんばし)

天草

熊本県